1.パラシュートの歴史


パラシュートというと、レオナルド・ダ・ビンチのスケッチ画が有名であるが、実際のパラシュートの始まりはと言うと、フランス軍の将校、ジャック・ガルネランがプロシア軍の捕虜になってマグデブルグの要塞に監禁された際に、脱走手段として構想したのが始まりだったそうである。
ガルネランは密かにパラシュートを作り始めたものの、プロシアが戦争に負けて釈放されたため使う必要がなくなったという。
その後、ガルネランは軍隊を退役すると気球飛行とパラシュートの研究をし、気球で空に昇ってパラシュートで降下するという計画を建てた。

最初のパラシュートの形態は現在のものとかなり違っており、丈夫な木の枠で出来た4メートル足らずの高さの円錐形の骨組みに布が張ってあって、それにロープが張って人の乗るゴンドラに繋がっているという構造であった。つまり最初から開きっぱなしの構造だったのである。
1797年10月22日、ガルネランはパリのモンソー公園で、パラシュートの実験を行うこととなった。パラシュートをつり上げる気球が300mまで昇ると、ガルネランを乗せたパラシュートが切り離された。パラシュートは空中で揺れながら落下速度を早めつつ降下し、無事に成功したという。

翌1798年にはガルネラン婦人が女性として初めてパラシュート降下を行った。
その後、ガルネラン夫妻はヨーロッパ各地でパラシュート降下の見せ物を行ったという。
ただこのパラシュートは、構造上の問題で(後述)降下中に激しく揺れるという欠点があり、イギリスのハイドパークでの見せ物の際には、ほとんど90度近い激しい横揺れを起こし、生還は奇跡と見なされて、以後30年以上にわたってイギリスではパラシュート降下は行われることがなかったという。

この激しい横揺れ(オシュレーシュン)の原因は、空気がキャノピーにぶつかって渦を作りキャノピーの縁から不均等に出ていくことによっておきるのだが、この問題解決に取り組んだのはアメリカのトーマス・ボールドウィンであった。
彼はキャノピーの傘頂部分に穴を空けて空気を逃がしてやれば揺れが収まると考えたのであった。
しかしこの考えを発表すると、まわりの人たちから「パラシュートに穴を空けて空気を逃がすとものすごいスピードが付いてしまう」と反対されたが、1885年、彼は傘頂に穴を空けたパラシュートを作って降下し、揺れが止まるのを証明して見せたのであった。 

パラシュートは元々見せ物として始まったため、これに対する軽蔑が原因か、飛行機の発明(1903年)以後も生命を救う道具としてのパラシュートは全く普及することがなかったという。
第1次世界大戦(1914年〜1918年)が始まってからも、観測用気球用のパラシュートは実用化されていたが、飛行機用パラシュートはなかったのである。
航空機事故で友人を亡くしたイギリスのキャルスロップは、1910年以降以来自動的に展開するパラシュートの研究を続けており、1915年に海軍に自作の採用を願い出て、テストが開始された。しかし軍は救命用としてのパラシュートの採用は拒否し、そのかわりに、1917年に密かに特殊部隊の降下に実戦投入したという。

同年8月にドイツ軍機が戦闘機からの脱出にパラシュートを装備して使用したのが確認され、彼は軍に自作の採用を再度要求した。採用反対の根拠として、低空ではパラシュートが開ききる前に地上に激突するはずだという主張があり、彼は100mもあれば開傘には充分であると立証するため、実験を行うこととなったのであった。
1917年11月11日、高さ47mのロンドンのタワー・ブリッジで降下実験が行われた。オード・リーズ大尉が降下して無事に開傘し、反対の根拠はなくなったのであった。


(参考文献)
「20の世界最初ものがたり」ロナルド・セス(1971年)講談社
「メカニックマガジン85年12月号<ノスタルジックフューチャー第25回>」(1985年)KKワールドフォトプレス